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Japanese
Original Title
葛藤
Simplified Chinese
Title
その影は、どこまでも追ってきた。
つかず離れず追ってくるそれは、背中に赤く光る透明な翼を持っていた。手には抜き身の剣が握られている。

(御使いが、もう一人いた!)

 ルークはボラクの背に鞭を振るう。背中に血をにじませたボラクが、苦しげにいなないた。

焦りと恐怖に彩られた表情で、ルークは周りをさっと見回した。

流れるような景色の中に、助けてくれそうな人影は無い。見渡す限りの草原と、苔むした柱の残骸達ばかり。ルークは、苛立ったような顔つきで呻いた。
そして、恐怖した。

(戦うか、死ぬか)

どちらかを選び、覚悟を決めねばならないことへ。

剣の稽古や、イダーフとの一対一での試合でも感じた事のない恐怖。護身用というには少々無骨が過ぎる剣は、今か今かと出番を待つようにカチカチと鳴いている。

後ろを追いかけてきている気配が、ルークの心を更にかき乱した。

( あいつら、嗅ぎつけるのが早過ぎる……!)

不意に、草原を横切る黒々とした線を視界におさめた。ボラクの身体にしがみついたルークは、すっと、目を細めてそれを注視した。
遠目から見てぼんやり分かるくらいに広く、大きな影。
遊牧民
(
ベドウィン
)
特有の鮮やかな色彩の天幕と、放牧している羊達が頭を上げてこちらを見上げている。

途端に、ルークの赤い瞳に精彩が浮かんだ。意を決したかのように息を飲み、ボラクを天幕の方へ走らせる。
羊の群れの中で、あんぐりと口を開けたまま棒立ちしている男の脇をあっという間に通り過ぎ、ルークは手近な天幕へボラクごと突っ込んだ。

褐色の布地が視界一杯に広がった。
布と、固いなにかに身体を強かに打ち付けながら、ルークは転倒したボラクの背から素早く飛び降りると、腰にぶら下げていた剣を一気に引き抜いた。
剣に布が絡みつく感触。固いものを剣が弾いた気がして、ルークはひやりとした。
まとわりついてくる布地を邪魔そうに切り裂くと、剣を構えたまま飛び出した。


御使
(
みつか
)
いの姿がない?)

ルークの背中から、嫌な汗が、どっと噴き出した。
混乱する羊達の鳴き声が煩くて敵わない。追手の足音も、羽音も塗りつぶされてしまった。

ふと、頭上で何かが光った気がして、ルークは反射的に剣を振るった。

銀色の光と、黒い影が視界の中で交じり合う。
剣の先から伝う意外なほどの重さに、ルークの体が傾いだ。
勢い殺がれて倒れそうになるのを堪え、威嚇するように剣を薙ぐ。刃が、ひゅっと、空を切った。
たたらを踏みながら飛び退ったルークが見たのは、イスマイーラよりも随分と若い男。

日に焼けた褐色の肌に口髭を生やし、紺色の外套の下から線の細い、引き締まった体躯が見てとれる。
外套の下は軽装だろう。分厚い金属板のような鎧をつけているようには見えなかった。
ルークへ刃を向け、直立した男の背中には翼が二対。
煌々
(
こうこう
)
と、
赤い光
(
マナ
)
を発していた。。


「ムルグ・イ・アーダーミー……」

城では、まみえる事の無かった神代の民の一人。
もっとも古き民と呼ばれるそれを目にし、ルークは苦々しげに呻いた。
その種は様々だが、このムルグ・イ・アーダーミーはその中でも最も厄介な相手だった。

―――彼らは、禁じられているはずの
魔法
(
クオリア
)
を意のままに操る。

「ターリクめ……やってくれる」

魔族がアル・カマルの特務部隊の服を着ているのも、問題だった。
他国からの脅威には兵士を、魔族には魔族を。
魔法
(
クオリア
)
と呼ばれる超常の現象を操る魔族に、ただの兵士を差し向けても無駄に命を散らすだけなのだからして、なるほど的を得ている。しかしながら、国の特務部隊として魔族を正式に徴用する事例は無い。

(むしろ、法で禁じられているはず)

法を司る
西守の長
(
ターリク
)
が魔族を手元に置いているという事実に、ルークは軽い
眩暈
(
めまい
)
を覚えていた。

「御覚悟を」

とっさに、近くにあった箱を投げつけた。
目の前で、ぶわっと布が広がった瞬間、ルークはその場から走り去った。背後で布が剣で裂かれた音がしたけれど、気にする余裕は無かった。

(あれは、無理だ)

正面から戦うのも、剣を向けるのも、
御使
(
みつか
)
いを殺すのも。近くにあった

(
かご
)
を崩し、背後で悲鳴が上がるのを聞きながら、ルークはさっと、木箱の隙間に身を隠した。
御使
(
みつか
)
いは急いで探さなくても簡単に殺せると思っているのか、走るわけでもなく酷くゆっくりと歩ている。
それを眺めているだけでルークの胸は、押しつぶされそうになっていた。
剣を持つ手が重く、足が笑う。力が入らなかった。


無茶だ。
出来ない。
殺せない。
あれに対して剣を向けるのが、とても恐ろしい。
(……ああ、だからか。だからあいつらは、はじめから分かっていたんだ)

イスマイーラから剣を渡されたときの言葉が。
剣を向けると言ったときのダルウィーシュの表情の本当の意味を。
ルークが殺意に怯むことも、殺し合いに恐怖を覚えることも、なにもかも。
人に剣を向けた経験がないと言い放った、ただ一言だけで二人の兵士は全てを悟っていた。

 ”人を傷つける

(
すべ
)
を身につけろ。”
(俺は、何もわかっていなかった)

何もわからない癖に、覚悟しているなどと言い放った自分が恥ずかしかった。

(人を殺した事も無い癖に……)

イスマイーラと別れてしまったルークが取れる行動は、二つに一つしかなかった。

戦うか逃げるか。どちらを選んでも、いい結果ではないのが分かっていた。

(決断しなければ)

死にたくなかった。
でも、人も殺したくなかった。
逃げるのは、もっとしたくなかった。
ルークは気持ちを落ち着かせるように、何度も息を吸って吐いた。頭が、じーんと痺れる。目の前のなにもかもが、ぼんやりとしていた。
(……助けが来ないのなら、俺がやるしかない)

剣を、ぎゅっと握る。冷たくて、堅い鉄の感触がした。

御使
(
みつか
)
いの足音が近付いてきた。靴が砂を踏む音がすぐそばで聞こえる。
呼吸を止めて目を瞑る。足音がゆっくりと遠ざかってゆくのを感じて目を開いた。木箱の隙間から、そっと伺う。遠くに
御使
(
みつか
)
いの背中があった。
ルークは両手で握っていた剣を抱き寄せ、思索にふけるように目を閉じた。
「そなたは体格や力量差のある相手との接近戦は、極力避けるがよい」

思い出したのはイダーフの言葉。
ルークは兄のことを苦手だと思っていたけれど、剣の腕に関しては一目置いていた。
自分よりも強く、将と互角に張り合える腕を持っていたからだ。
そのイダーフは
擬戦
(
ぎせん
)
をするたびに、ルークへ戦い方を教えた。

「何故、差のある相手と接近してはいけない?」


「小さな方が、力負けするゆえに。筋肉の塊のような大男に、ひょろひょろの子供が力で勝てるはずがなかろう。防具のない状態で剣を交えるのならば、なおのこと。格闘までするのは愚かだ。
そうであれば、どうすべきか。暫し考えてみるがよい。答え合わせならば、いつでも付き合ってやろう」

イダーフが珍しく笑うものだから、呆気にとられたまま答えを返すことが出来なかった。
それから何年も考えた。答え合わせの機会は逸してしまった。
けれど、今なら。ルークはイダーフの言葉の中に答えがあるような気がしていた。

(単純な技量が駄目なら、相手が完全に後ろを向いている状態での、奇襲しかない)

卑怯だ。正々堂々と名乗り、戦ってみせる方が良いのではとも思った。
けれど、結果は分かりきっている。

(負けだ、殺される)

相手は戦いに精通している上に、体格も大きい。対して自分は体格も小さく力も弱い。
別の方法を考え出そうにも、恐怖と焦りに支配された頭では良い考えが浮かぶはずもなく。
ルークは剣の柄に両手にかけたまま、大きく息を吐いた。
御使
(
みつか
)
いは剣を持ったまま、詰まれた箱を蹴り倒していた。箱が壊れる度に、ルークは落ち着かない気持ちになった。

(首筋がぞわぞわする。なんだ、気分が悪い)


奇妙な感覚に戸惑いを覚えた瞬間、一人の少女が目に入った。五つ位の小さな子供だった。
天幕の入り口を開けたまま、あんぐりと口を開けて
御使
(
みつか
)
いを眺めている。
その少女を、
御使
(
みつか
)
いが振り返った―――刹那、少女の首と彼女の白い衣が赤く染まった。首に短剣の柄を生やしたまま、ばったりと倒れた。少女は顔を地面に伏せたまま、赤黒い血溜まりの中ぴくりとも動かない。
その瞬間、ルークの体は動いていた。
殺し合いにためらいを感じていたのが嘘のような身のこなしで距離をつめ、
御使
(
みつか
)
いへ飛びかかる。
隠れている間に思案していた一切合切は、既にルークの頭から抜け落ちていた。

「何故殺した!?」


「ああ、そこでしたか」

冷え冷えとした視線がルークに投げかけられる。まるでお前が逃げたからとでも言いたげに、男は目を細めた。

「間違えてしまいました」

御使
(
みつか
)
いの嘘に、ルークの顔が憤怒に染まった。

歳も性別も、背格好の違う少女と自分を見間違うはずがない。一瞥さえくれたのだから。
前兆のような嫌な感覚がしたのに、思わず戸惑ってしまった。そんな自分自身に腹が立ち、ルークは奥歯を噛みしめた。
ルークが、おもいきり剣を振り下ろす。
御使
(
みつか
)
いがたまらず後退した。ルークは更に踏み込み、剣を斜めに突き下ろした。刹那、視界が黒く染まった。
頬に熱いものがはしる。痛烈な痛みに耐え切れず、ルークの口から呻きが漏れた。
上下の分からない中、ルークは反射的に剣で頭をかばった。がちんと、
剣背
(
とうはい
)
にほどこされた乱杭歯が、刃を受け止める。それを、力いっぱい、身体ごとひねるようにして引き倒した。
御使
(
みつか
)
いの身体が、地面に向かって引っ張られるように転倒する。
ルークが億劫そうに剣を持ち上げると、そこには、
御使
(
みつか
)
いが持っていたはずの剣が刃に引っかかっていた。
それを重そうに後ろへ放る。背後で固いものが突き立つ音がした。


(一か八かだったが、どうにかなるものだな)

梃子
(
てこ
)
の原理を応用して剣を絡め取る。
鉄折剣
(
ソードブレイカー
)
という武器の”本来の使い方”。こうも上手くいくとは。
ルークの口元が緩み、一瞬で頬を引き締めた。

「これは、ターリクの指示か?」


「答える権限がありません」


「ならば質問を変える。今ここに居る
御使
(
みつか
)
いは、お前だけか」


「答える権限がありません」

ルークが表情を消した。

易々と教えるような人間ではないことは分かりきっていた。彼等はそういう”人種”なのだ。
(そもそもこいつに、感情というものがあるのか?)

首元に剣を突きつけられているというのに、怯えも怒りもしないのが奇妙でしかたなかった。

「で、如何なさいます。殺しますか、生かしますか?」

不意の問いかけに、ルークは戸惑いを覚えた。
御使
(
みつか
)
いの、死んだ魚のような眼差しに、苦い表情を浮かべる。

「殺すつもりが無いのなら、その剣をどけてください」


「二度と追わないと約束できるのなら」


「……神に誓いましょう」

意外すぎる言葉だった。
あれほど剣を交えた
御使
(
みつか
)
いが、あっさりとルークの言葉を受け止めたのが奇妙で。

「聞き取れませんでしたか。それとも信用できませんか」

身じろぎも出来ず、かといって剣を引くことも出来ない。
ルークが棒立ちするのを、
御使
(
みつか
)
いはつまらなさそうな表情で見上げる。
刹那、足を襲う鈍痛と、熱を伴った風にルークは思わず目を固くつむった。

「外れた……!?」

驚きに目を剥いていたのは、
御使
(
みつか
)
いの方だった。

自分の周囲の大気から熱を奪い、瞬間的に炎の
魔法
(
クオリア
)
を創り出し、めいいっぱいの力でルークに叩き込んだはずだった。

「どういう……」

黒煙の中で、生きた気配があった。

煙の中から、白銀の光が飛び出した。まっすぐ突きこまれたそれを、
御使
(
みつか
)
いは半身をひねり、ぎりぎりのところで避けた。受け止めるものの無い光が、草の上に転がった。

それは先刻、ルークへ
御使
(
みつか
)
いが放った短剣だった。

御使
(
みつか
)
いの表情が、はじめて動いた。
化け物に遭遇してしまったような表情で、一瞬だけ動きを止めた。
これがいけなかった。
煙から飛び出してきた小さな影に、
御使
(
みつか
)
いは突き飛ばされていた。

「しまっ……」

ルークが、はっとする。

御使
(
みつか
)
いが、血泡を吹きながら苦痛に喘いでいた。

急いで駆け寄り、手を伸ばす。呼吸は荒いが脈はあった。腹部の傷は思うより深いらしく、鮮血が絶え間なく傷口から流れ出している。血の水溜まりが、
御使
(
みつか
)
いの服をぐっしょりと濡らしていた。

(殺すつもりではなかったのに……くそ、血が止まらない!)

傷口を覆うように触れた手指から、生暖かい血が絶え間なく溢れ出してくる。

(医術士がいれば、もしかしたら)

ルークが顔を上げると、いつの間にか人だかりが出来ていた。

遠巻きにこちらを伺う者は皆、ルークと目が合うと慌てたように目を逸らし、身を隠す。
そればかりか非難めいた視線を向ける者までいる。

忌避と侮蔑の眼差しの中、
御使
(
みつか
)
いの鼓動は、あっという間に消えてしまった。

(死んだ……)

御使
(
みつか
)
いの体は、まだほんのりと温かかった。

揺すれば起きてくるのではないかと、
御使
(
みつか
)
いの体を揺すった。ぐったりとした体が、ゆらりと揺れるだけだった。

(俺が、殺したのか)

手と、足が震えた。
御使
(
みつか
)
いの死を直視できず、ルークはたまらず目を逸らした。その先に、殺された少女が母親に抱きかかえられているのが見えた。
母親の後ろで、少女と同じくらいの少年が、呆然と少女と母親を見下ろしている。
ふいに、少年が光の無い目をルークへ寄こした。

身近な者を突然亡くし、絶望した者のそれに怯み、ルークは逃れるように背を向けた。

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